こんにちは管理人のみつまめです。
今日の産経新聞朝刊には多くの辺野古沖事件解明の記事が記載されていた。
事件の全貌が解きほぐされ、遺族(お父さん)はnoteで「文部科学省の報告について」と題する記事を公開されている。
お父さんは、こう感想を記されている。
noteから一部抜粋させていただいた。
「賛否のある議題を取り上げるのが悪いのではなく、取り上げる場合は一方に偏るのが良くないということが、見解として示された」と感想を述べられている。
あらためて事件を振りかえってみた。
辺野古沖転覆事故~文科省が「教育基本法違反」認定~、その裏側に何があったのか
沖縄・辺野古沖で発生した転覆事故いや事件だ。
尊い若い命が失われたこの事故をめぐり、ついに文部科学省が5月22日、同志社国際高校による「平和教育」について、教育基本法が定める「政治的中立性」に反すると認定した。これは極めて異例の判断であり、教育現場側に大きな衝撃を与えた。
しかし、多くの国民の皆さんが感じているのは、
「なぜ今なのか」
「なぜここまで放置されたのか」あまりにも遅すぎた判断ではないか?という疑問ではないだろうか。
まだ何か目に見えない何かが隠されている。
文科省が認定した「著しく不適切」という言葉
今回の調査で文科省は、同志社国際高校の研修旅行について、
- 安全管理が極めて不十分
- 教員の監督体制に重大な欠陥
- なぜ教員は乗船しなかった
- 気象確認不足
- 緊急時対応の未整備
- 特定の政治的立場に偏った学習
などを問題視しをしている。
さらに、教育基本法14条が定める「政治的中立性」に違反するとまで踏み込んだ。
文科省がここまで明確に「違反認定」を出すのは異例中の異例だ。
つまりこれは単なる「事故」ではなく、「事件」だ。
「教育の名を借りた政治活動だったのではないか」という疑念が国レベルで示されたことになる。
なぜ危険な抗議船に高校生を乗せたのか
今回、多くの人が最大の疑問として抱いているのはここだ。なぜ、波浪注意報まで出ていた海へ、未成年の高校生を乗せて出航したのか。
しかも報道では、
- 教員がなぜ同行していなかった
- 緊急時の想定も甘かった
- 事故時、生徒自ら海保へ通報した
という驚くべき実態も明らかになっている。
「辺野古反対運動」という政治色の強い現場が絡んでいたことで、安全判断が鈍った可能性はなかったのか。その点を多くの国民が疑問視しているはずだ。
その一方で左翼であろう沖縄県、玉城デニー知事の姿勢にも甚だ違和感が募る。
知事はこれまで、辺野古反対運動側への理解を示す発言を続けてきた。
玉城氏自身の発言で「抗議船というくくりで安全性に問題があるということではなく、抗議船にも使われている船で、目的に合わせて使用されている船だ」と左翼を擁護する姿勢をみせている、どうしてこのような擁護ととらわれる発言をするのか甚だ疑問だ、
左翼の人間は、命の大切さが全く分かっていない・・・
命を守る責任を全く感じ取っていない。
聞こえのいい「平和教育」の名の下に
今回の事件は、日本の教育現場に重い課題を突きつけた。
本来、平和教育とは、生徒に多様な視点を示し、自分で考える力を育てるものである。
しかし、もし特定の思想や政治的立場だけを強く刷り込む形になっていたのであれば、それは教育ではなく、完全なる偏った政治思想への誘導だ
文科省が「特定の見方に偏っていた」と判断した意味は重い。
そして、その結果として命を失うことは、あってはならないのだ。
事故の裏側はまだまだ終わっていない
今回の事故では、
- 学校側の責任
- 運航体制
- 引率体制
- 政治活動との関係
- 行政との距離感
など、まだまだ解明されていない部分が多い。
だからこそ今必要なのは、「批判封じ」でも「感情論」でもない。
徹底した事実検証だ。
なぜこの危険な計画が止められなかったのか。
誰が判断し、誰が責任を負うべきなのか。
そして二度と同じ悲劇を繰り返さないために、教育と政治活動の境界線をどう守るのか。
その“裏側”にあるものを、社会全体が冷静に見つめる時が来ている。
そしてもう一人、もう一隻(平和丸)船長の存在だ。
どう責任をとるのか、それどころか刑事事件の捜査中であることを理由に任意の調査に応じないと言っているようだ。
やはり左翼の人間はどうしようもない、身勝手な人間だ。なぜ強制的にでも調査に応じさせないのか理解に苦しむ。
まだまだ深い闇の全貌は明らかになっていない。
そして昨日の22日、もうひとつの事件「軽井沢バス事故」の運行会社社長に禁固3年、運行管理者に禁固4年と東京高裁は実刑を言い渡した。
平成28年1月に長野県軽井沢町で大学生ら15人が死亡、26人が重軽症を負ったスキーバス事故だった。

★遅すぎた判断、しかし一歩前進だ。








