こんにちは管理人のみつまめです。
みつまめは沖縄辺野古沖転覆事件の杜撰さを数回にわたりブログに綴ってきた。
未だに誰も責任を取っていない。
そして、昨日の産経新聞朝刊の記事を読んで、みつまめは、また大きな衝撃を受けると同時に怒りを抑えきれなく、この記事の内容をあらためて掘り下げてみることにした。
今年3月、沖縄・辺野古沖で発生した転覆事故では、未来ある女子高校生の尊い命が失われ、多くの生徒が負傷した。この事故は、単なる海難事故ではない。学校の安全管理や教育の在り方そのものが厳しく問われる重大な出来事だった。
起こるべくして起こった事件だ。
事故後、文部科学省は、研修プログラムについて教育基本法上の政治的中立性の観点から問題があったと認定した。
そうした中で、6月19日に同志社国際高校の西田校長が、3年生(当時2年生)への説明会で、
「辺野古のプログラムについて決して偏ったものを提供しているというふうには今も思っていない」
との趣旨の発言をしていたことが報じられたという。
もし報道の内容どおりであるなら、この発言は事故を受けた学校として、多くの人が期待する「事故を真摯に受け止め、検証し、改善する」という姿勢とは異なるものと受け止められても無理はない。
何よりも、愛する娘を失った遺族の方の心情を思うと、胸が締めつけられる思いだ。
遺族の方が求めているのは言い訳ではない。
責任逃れでもない。
教育方針を守り抜くという姿勢でもない。
まず必要なのは、学校側が「命が失われた」という現実を真正面から受け止め、二度と同じ悲劇を繰り返さないという強い決意ではないだろうか。
学校には子どもたちの命を預かる責任がある。
教育理念がどれほど立派であっても、その前提には「安全」がある。
安全なくして教育は成り立たない。
だからこそ、事故後、いや事件後に求められるのは自己正当化ではなく、徹底した検証と謙虚な反省である。
みつまめは、今回の報道に接し、「本当に事故から何を学んだのだろうか」という疑問を抱かずにはいられなかった。
校長という立場は、学校の最高責任者である。
社会からの信頼を回復するためには、自らの責任を明確にし、必要であれば進退についても判断することが組織の責任の取り方だ。
教育とは、子どもたちに命の尊さを教える場である。
その教育現場だからこそ、一つの命が失われた意味を誰よりも重く受け止めなければならない。
二度と同じ悲劇を繰り返さないために。
そして、亡くなられた生徒の尊い命が決して無駄にならないためにも、学校には徹底した検証と説明責任、そして社会が納得できる責任ある対応を強く求めたい。
「反省なき教育者・西田校長は、一刻も早く自らの責任を認め、誠実な対応を取るべきである。」

★失われた命は戻ってこない、この重みが分かっていれば答えは出るはずだ。









