こんにちは管理人のみつまめです。
昨日そして今朝の産経新聞朝刊、ほんの小さな記事に目が止まった。
その記事を読み進めるうちに、みつまめは背筋が凍る思いがした。
え~「もし、あと数秒違っていたら~大惨事が起こっていたかもしれない。」
そう考えると、この出来事は決して「駅を通過しただけのトラブル」で済ませてはいけない問題だと感じた。
記事の内容はこうだ。↓
今年6月、JR山陽線の普通列車が神戸市の鷹取駅を誤って通過するトラブルが発生した。
その後の取材で明らかになったのは、運転士が当日未明に前の勤務を終えてから、実際には約1時間しか休息を取れないまま乗務していたという事実だった。本来は約6時間の休憩が予定されていたものの、前日からの大雨によるダイヤの乱れで十分な休息時間を確保できなかったという。運転士は「眠気は感じていたが、寝てはいない」と説明し、JR西日本も休憩不足は把握していたが、点呼時の様子や本人の申告から乗務可能と判断していたという。
ここで、みつまめが強く感じたのは、「運転士個人」の問題ではないということだ。
人間は機械ではない。
睡眠不足になれば判断力は低下し、集中力も落ちる。
これは医学的にも広く知られている事実であり、本人が「大丈夫」と思っていても、身体は正直だ。
鉄道という一瞬の判断ミスが重大事故につながる現場で、「休憩不足と分かっていながら乗務させた」という点は、極めて重く受け止める必要があるのではないだろうか。
思い出されるのが、2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故である。
107人もの尊い命が失われたあの事故は、日本の鉄道史に深い傷跡を残した。
事故後、JR西日本は「安全最優先」を掲げ、組織改革や安全教育の徹底を進めてきた。
だからこそ、今回のように十分な休息を確保できない状況で運転士が乗務していたという報道に接すると、「あの事故から得た教訓が、現場で本当に生かされているのだろうか」という疑問を抱かずにはいられない。
もちろん、大雨によるダイヤの乱れは現場だけではどうにもならない。
しかし、非常時だからこそ、「安全を最優先にする」という判断が求められる。
列車が多少遅れることと、人命を危険にさらすことは、決して同じ天秤にはかけられない。
今回の件では幸いにも負傷者は出なかった。
だからニュースも小さな扱いだったのかもしれない。
しかし、みつまめは思う。
本当に恐ろしい事故とは、「大事故になってから初めて問題視されること」ではない。
重大事故になる前に、その兆候を見逃さないことこそが、安全文化の原点ではないだろうか。
世の中には、「何も起こらなかったから良かった」で終わってしまう出来事が数多くある。
だが、その陰には、たまたま運が良かっただけというケースも少なくない。
今回の記事は、そんな「運の良さ」に支えられていた可能性を私たちに考えさせる出来事だった。
鉄道は多くの人の命を預かる公共交通機関である。
利用者が安心して列車に乗れる社会であるためにも、運転士が十分な休息を取り、万全の状態でハンドルを握れる勤務体制を整えることは、会社の責任であり、安全への投資でもある。
小さな記事だった。
しかし、その中に隠されていた警鐘は決して小さくない。
「事故が起きなかったから終わり」ではなく、「事故が起きる前に何を変えるべきか」。
今こそ、その視点が求められているのではないだろうか。

★二度とあの脱線事故を起こしてはいけない。JR西日本側は猛省し、徹底した安全管理を願うばかりだ。









