こんにちは管理人のみつまめです。
幾度となく知華さんが亡くなった事件について、みつまめの思いを綴らせていただいている中、今朝の産経新聞トップ記事は、またも胸が締めつけられるほど、遺族の方にとって辛い記事だった。
今年3月に起きた辺野古沖での転覆事件。
未来ある高校生が命を落とした、あまりにも痛ましい事故、みつまめは事件だと言い続けている。
6日、明らかになった事実は、その悲劇にさらに深い悲しみと怒りを重ねるものだった。
なんと、その記事の内容は
引率していた教員が、亡くなった知華さんの顔を知らず、身元確認ができなかった。
この一文を読んだ瞬間、思わず新聞を持つ手が止まった。
えっ「そんなことが、本当にあるのか。」
信じたくはないがそれがありのままの杜撰な引率教員の姿だ。
保護者は、大切な我が子を、信じて学校に預ける。
それは「学校なら安心だ」という信頼があるからだ。
だからこそ校外学習や宿泊行事でも、「先生が一緒だから大丈夫」と送り出せる。
ところが、知華さんを乗せた救急車に同乗した引率の女性教員は、目の前にいる生徒が誰なのか分からなかったという現実。
いったい何のための引率だったのか。
何回でもいう、この大きな責任を学校側はどう責任をとるのか、未だ学校側は目に見える責任を取っていない。
記事にはご遺族の方の証言も綴られている。
胸に突き刺ささる言葉だ。
知華さんの母親は、
「引率教員は救急車に乗っても保護者の私たちに連絡をしてこなかった。知華の顔も分からなかったため身元確認ができず、死亡確認すらずっと待たされるなんて・・・」と言葉を詰まらされつつ振り返った。」と、、
わが子の安否も分からず、ただ待ち続けるしかない時間。
もし自分の子供だったら。
そう考えただけで胸が破裂しそうになる。
もちろん事故は誰にも予測できない。
しかし、その後の対応は、人がつくるものだ。
児童・生徒の顔と名前が一致していること。
緊急時には誰が保護者へ連絡するのか、決まっていること。
命を預かる者として最低限の備えがあるはずだ。
それは特別なことではなく、あたりまえの基本中の基本、安全管理の出発点だ。
今回の事故で問われているのは、船の安全だけではない。
起こるべきして起こった事件だ。
子どもを預かるという責任を、全うできていなかった為に起こった事件だ。
「想定外でした。」
「事故だったから。」
そんなありきたりな言葉の弁明はいらない。
知華さんは二度と帰ってこない。
この事件の責任は大きい。
だからこそ、この事故を絶対に風化させてはいけない。
学校は、なぜこのような事態になったのかを徹底的に検証し、包み隠さず説明する責任がある。
まだまだ何か隠された闇の真実があるように思えてならない。
そして、二度と同じ悲劇を繰り返さないための再発防止策を、一つひとつ形にしていかなければならない。
子どもの命は、何よりも重い。
その当たり前のことを、教育現場にはもう一度、いや繰り返し繰り返し真剣に考えなければいけない。
保護者が安心して「行っておいで」と送り出せる学校であってほしい。
知華さんの尊い命を決して無駄にしない、私たち大人の責任であることは間違いない。
1日も早く事件に関係した学校・校長・教員・団体・平和丸船長らの責任の所在が明らかになることを願う。
合掌。








